ヴィオラをデザインする



 最近『オリジナルモデル』のヴィオラ製作に取り組んでいます。  自分なりのイメージをもとに、数値や比率を設定し、円と円、曲線と曲線を繋げて形を作っていきます。

 

 ヴァイオリン族の楽器を作る近現代の製作者の多くは、いわゆる「ストラディヴァリのモデル」「ガルネリのモデル」等といった過去の名工の作った楽器をモデルにして製作している場合がほとんどです。

 製作者それぞれに解釈の違いや技術の差などがあるので、同じモデルで作っていても出来上がった楽器にはそれぞれの個性は現れますが、やはりパッと見て「ストラドのモデルだね」「ガルネリのモデルだね」と見る人が見ればわかるものです。

 実際に私も好きな名器であったり、好きな年代の雰囲気をイメージして楽器を作ってきました。

 多くの情報から多くの影響を受けて、私の楽器が生まれてきたと言ってもよいでしょう。

 過去の名器に学び、その姿かたちを模倣し製作することは、ヴァイオリン族の楽器が「伝統工芸品であり、楽器である」という点から考えても基本的には正しいことであると考えています。


 しかし最近、『それだけでいいのだろうか』と考えるようになりました。 

 

 人とモノの往来などが困難な時代、もちろんインターネットなどもない時代、そういった時代に製作者はどのように楽器を作ってきたのか考えてみたのです。

 1600年代、1700年代、1800年代、今より圧倒的に情報も少なく不便だったこの時代の名器を観察すると、それぞれに確立された強烈な『個性』を見ることができます。

 近現代の製作者の多くがモデルとして採用しているストラディヴァリやガルネリも、もちろんその時代の製作者です。

 「ヴァイオリン(製作する上である程度制約のある楽器)である」という前提があり、「どこの流派の影響をうけている」という事も多少はありますが、「誰かの真似をして作ろう」という意識で作られたものでないことは一目瞭然です。

 大量の情報が得られないからこそ、製作者は自分の考えや感性を信じるしかない環境で楽器を作ってきたのでしょう。

 名工達は、「奇をてらった」という意味での「個性的なもの」を作ろうとしていたわけではなく、それぞれが「自分にとっての当たり前」を追求していたのだと思います。

 だからこそ、その時代の名器には『本物の個性』が表現されているのです。


 一方、自分を含め、近現代の製作者の多くは、膨大な「情報と常識」に影響を受け、「個性(自分)」を封印してしまっているのではないか、と感じます。

 情報と常識に影響されて... いや、考えようによっては、「大量の情報に毒されている」とも言えるかもしれません。


 もちろん、先にも述べましたが、「名器を模倣する」ことは「良い楽器を作る」という点からも、間違ったことではなく、むしろ正しいことです。

 しかし、私はその「正しいこと」から一旦距離を置き、頭をリセットし、情報を遮断し、自分自身と向き合うことにしたのです。

 良くも悪くも、得体の知れない「自分」を形にしたいのです。


 私の考えは『過去の名工達への敬意、オールド楽器への敬意』から生まれたものですが、「新作楽器よりオールド楽器の方が上だ」とか「ウン億円の音色をもつオールド楽器」などといった、いま世の中にまん延している「オールド至上主義」とは全く異なる考えであるという事は強調しておきたいと思います。


 「最近、松上って変な事しているよね」などと言われることもかもしれませんが、ブレずに続けていこうと思います。

 

松上一平

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